MOVINVOL11


高岡発ユニバーサルデザイン
バリアフリーからユニバーサルデザインへ
キーワードは「生活者の視点」。

近年、企業やデザイナーの重要な取り組みのひとつになっているのが、高齢者や身障者に配慮した製品づくりだ。そのテーマは、世界規模でバリアフリーからユニバーサルデザインに移行している。高岡市デザイン・工芸センターは、こうした時代の流れに対応すべく「ユニバーサルデザインフェスタ」(平成13年10月1日〜19日)を開催。国内外の商品などを集めた「生活者のためのデザイン展」、ユニバーサルデザインの概念や商品に詳しい方々を招いた「フォーラム」、一般参加者が生活用品の製作を体験した「ワークショップ」で構成するプログラムを通じて、ユニバーサルデザインの啓蒙と普及が図られた。

 ユニバーサルデザイン(以下UD)とは、'90 年代のアメリカで工業デザイナーの故ロン・メイス氏が提唱した概念だ。それによると、障害の有無に関わらず、誰もが利用しやすい製品や生活環境の設計を理想としている。ただ、UD提唱の以前からも、高齢者や身障者にとってバリア(障壁)になる建築要素を取り除くという、いわゆるバリアフリーが進められていた。従来あった歩道や玄関の段差を解消したり、開口部の幅を広げるなど、既に多くの製品や生活環境に適用・展開されている。

 しかしUDは、あらゆる人を対象にしたことと、最初から意図してバリアのない製品や生活環境のデザインを目指したことが、考え方の異なる点だ。いわばバリアフリーを発展させた概念として、今後の世界的な主流になっていくといわれている。日本でもその取り組みが急がれていることを背景に、今回のユニバーサルデザインフェスタが開催された。
 富山県産業高度化センター展示室では、同フェスタの会期を通じて「生活者のためのデザイン展」が催された。集まった展示品は、UD先進国といわれるスウェーデンのグッドデザイン商品をはじめ、国内外の企業によるUD商品や、著名人が愛用する逸品など222種類・378点である。会場の一角には、実際に使用して感触や機能を確認できる商品体験コーナーも設置された。
 UDの周知と理解を促すという意図で企画された同フェスタだが、来場者を対象として実施したアンケート調査によると、6割以上が今回の機会を通じてUDという言葉や意味を初めて知ったと回答している(Q1参照)。また、UD商品について「もっと普及してほしい」「これからの時代に欠かせない」などの意見が寄せられた(Q2参照)

 あらゆる人に配慮したデザイン―。UDの概念をひとことで表現すると簡単だが、製品開発の現場では様々な試行錯誤を繰り返しているというのが現状である。あらゆる人という限りなく広いユーザーに対して、作り手はどのような考え方でアプローチすればいいのか。'97 年にメイス氏を中心とするグループが提示した「UD7原則」(下記参照)は、実際の製品開発においてUDの基準を判断する基本的な物差しになるといわれている。しかし、製品や生活環境の特性によっても、その基準が違ってくるはずだ。そもそも、UDはどのような経緯で提唱され、これからの社会とどのように関わっていくのだろうか。二部構成で実施されたフォーラム(10月6日)では、その辺りについて考察されたので振り返ってみる。
グラフ
[ユニバーサルデザイン7原則]
(1)誰にでも公平に利用できること
(2)使う上で自由度が高いこと
(3)使い方が簡単ですぐわかること
(4)必要な情報がすぐに理解できること
(5)うっかりミスや危険につながらないデザインであること
(6)無理な姿勢をとることなく、少ない力でも楽に使用できること
(7)アクセスしやすいスペースと大きさを確保すること
渡辺 英夫 渡辺 英夫
渡辺デザイン研究所代表
1958年、日本コロンビア(株)入社。’72年、ソニー(株)に入社し計画室長として国内外工場の設立企画を手掛ける。PPセンターを創り、ウォークマン、フラットテレビなどを商品化。
’90年マーチャンダイジング戦略本部長として商品企画、デザイン、宣伝などを統括。’94年渡辺デザイン研究所設立。
フォーラムPart1
時代の必然性から生まれた、UDという新しい産業の目標
 Part1では、工業デザイナーの渡辺英夫さんにUDが提唱されるまでの歴史的な経緯やデザイナーが考慮すべき点について講演していただいた。要約すると、手仕事の時代から18世紀末にイギリスを中心として始まった産業革命を経て、工業製品を大量に生産する時代に突入する。つまり、より多くのユーザーが共用できる製品づくりの始まりだ。その後、工業製品の規格化や合理主義的なヨーロッパ近代デザインの体系化が進む中で、共用化・標準化というUDの原点が既に確立されていたと説明。続けて、大量生産が発展した20世紀末のアメリカで、なぜUDが具体的な思想として提起されたのかという点に触れ「当時、好景気を迎えていたアメリカの産業界では、行きすぎた大量消費社会に限界を感じていました。人々は環境破壊などの弊害に目を向け始め、企業は社会貢献に取り組まなければ存続できなくなってきたことに気付いたのです。そこで、製品の直接的な購買層だけではなく、あらゆる人々が共感できる目標が必要になってきました。産業界の思考転換が迫られる中で、エコロジーやリサイクルなどとともに、UDが新しい目標として掲げられたのは時代の必然性といえるでしょう」と説明した。